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燃えよ剣44

发布日期:2022-10-20 12-13-17文章来源:易学国际教育文章原创作者:小易浏览次数:61
信息摘要:
鳥羽伏見の戦い・その三最後に歳三、「やっ」と土塀の上にとびあがり、その屋根瓦の上にあぐらをかいた。ぴっぴっと、小銃弾が耳もとをかすめた。奉行所内部に待機している隊士らは、歳三の無謀におどろき、「副長、なにをなさるのです。薩長の射撃の標的になるつもりですか」「土方さん」原田左...
鳥羽伏見の戦い・その三
最後に歳三、 「やっ」 と土塀の上にとびあがり、その屋根瓦の上にあぐらをかいた。 ぴっ ぴっ と、小銃弾が耳もとをかすめた。 奉行所内部に待機している隊士らは、歳三の無謀におどろき、 「副長、なにをなさるのです。薩長の射撃の標的になるつもりですか」 「土方さん」 原田左之助などは、のびあがって歳三の腰帯をつかみ、 「死ぬつもりかよ。あんたまでが弾にあたっちゃ、新選組はどうなる」 「原田君」 歳三は、路上を駈け出してゆく永倉新八ら十八人の二番隊のほうをあごでしゃくりながら、 「あいつらも弾の中にいる」 といった。この男の例の憎体《にくてい》な、梃子《てこ》でも動かぬ面構《つらがま》えである。 (勝手にしろ) と、原田も、手をはなした。 歳三は大あぐら。 (芝居さ) と思っている。喧嘩とは、命を張った大芝居なのだ。歳三の両眼が見ていればこそ二番隊の決死隊も働き甲斐があるし、構内で待機中の連中も、 (この将のためなら) と思うはずだ。 事実、歳三もただの男ではない。うまれつきの喧嘩師の上に、ここ数年、文字どおり白刃の林をくぐってきている。 武士の虚栄は、死だ。 その虚栄が、骨の|ずい《ヽヽ》まで浸みとおり、血肉をつくり、それが歳三のふてぶてしい|つら《ヽヽ》を作りあげているようなところがある。 と、瓦が割れた。 歳三は、例の憎体面《にくていづら》のままである。顔色を変えるような「愛嬌」がこの男にはない。愛嬌といえばどういう種類の愛嬌も歳三にはなかった。 おかしなことに弾もこの不愛想な男をいやがるのか、すべて避けて飛んでゆく。 (おれにゃあたらねえ) 喧嘩師特有の自信である。歳三の尻は、ずしりと土塀の屋根にすわっている。
 一方、路上の永倉新八らの抜刀隊は、惨烈な状態になっていた。 新選組の担当正面は、通称指月庵の森といわれている疎林で、そこに薩長の兵が、奇妙な塁をかまえている。 民家から徴発した畳を積みあげ、それを胸壁がわりにして銃をのぞかせている。 林の中には畳の胸壁が、あちこち巧妙に配置されて、たとえ陣地内に斬りこまれても、死角というものがない。 一つの胸壁の銃兵を斬り殺しても、他の胸壁からたちまち突入者はやられてしまう。一夜造りの野戦陣地としては、じつにうまいものだった。長州藩の指導によるという。長州藩は、幕府の長州征伐を受けたおかげで、野戦攻城の経験が豊富になっていた。 奉行所からその陣地まで、わずか三十メートルたらずである。 歳三は、永倉ら剣術精練の士をえらんで、 「斬りこめ」 と命ずる一方、新選組がもっている一門の大砲を間断なく射撃させて、援護した。 永倉らは、白刃をふるって駈けた。 必死に駈けた。 「駈けろ」 塀の上の歳三は怒号した。駈けねば敵陣へたどりつくまでに撃たれる。 「傘が無え、傘が」 と、原田左之助が塀の上に首だけ出していった。 「なんの傘だ」 と、歳三。 「弾よけの傘がよ。雨ならカラカサ一本でよけられるが、弾はそうはいかねえ」 路上で、ばたばた隊士が斃れた。 弾をくらうと体が跳ねあがって倒れる。どさっと地に叩きつけられる音が、ここまできこえてくるような気がした。 永倉が、松林に躍りこんだ。つづいて、五人、六人と躍りこんだが、みなそれぞれ松を一本ずつ抱えたまま、身動きが出来ない。動けば諸所方々の畳の塁から撃たれるのだ。 それでも永倉はとび出そうとしている。 「永倉、待てっ。動くんじゃねえ」 と、歳三はどなった。 怒鳴ると、構内の原田をふりかえり、 「君の隊から十五人選ぶんだ」 といった。 原田はすぐ選抜し、高さ二間の土塀をつぎつぎと乗りこえて路上にとび出した。 歳三もとびおりた。 「おれにつづけ」 と、駈けながら二尺八寸和泉守兼定をひきぬいた。抜いた拍子に、刀身の物打《ものうち》にぴしりと弾があたって跳ねた。 「駈けろ、駈けるんだ」 駈けるのが戦さ、といった戦闘で、話にもなにもならぬ。 弾が、雨のようにやって来る。その間、五足《いつあし》ほど駈けるごとに、御香宮から撃ち出している薩摩砲兵の弾が、 どかん どかん と路上で炸裂した。弾体に霰弾《さんだん》が詰まっている砲弾だから、はじけるとそこここに血煙が立った。 歳三はやっと松林にとびこみ、一本の松を楯にとった。 ふりかえると、路上の死体はすでに十二。 「みな、飛び出すな」 と、歳三はいった。 夜を待つのだ。暮れきってしまうのに、あと十分も待てばいいだろう。 夜戦で斬る。 白兵となれば天下に響いた新選組である。 (死体の山を築いてやる) 歳三には自信がある。
 奉行所表門。 このほうは、奉行所を要塞とする幕軍の主力で、例の林権助老人を隊長とする会津兵である。 権助老人は砲三門をもって、まず竜雲寺高地の薩摩藩砲兵陣地を射撃させた。 が、一発撃つごとに、十発落下してくるようなあんばいで、火力ではなんともならず、しかも眼前二十メートルの御香宮の塀から、薩軍の銃隊が乱射してくる。 「こっちも鉄砲、鉄砲」 と、権助老人は会津の銃隊を督励するが、なにぶん火縄銃が多い。 操作におそろしく時間がかかるうえに、有効射程がせいぜい一丁ほどのものだ。 薩長兵は、ミニエー銃で装備している。当時、薩摩藩では、国許と京都藩邸に工作機械が据えられており、ほとんどの銃は、藩の製造によるものである。それらの銃は、長州軍にも無償で渡されていた。性能も外国製にほとんど劣らない。 大砲なども、いま竜雲寺高地の砲兵陣地を指揮している大山弥助が、洋式野砲をみずから改造して、 「弥助砲」 というようなものまで作っている。 当時、藩兵の精強さは、会津、薩摩をもって天下最強といわれたものだが、その近代化の点ではくらべものにならない。 会津の戦法は、依然として古色蒼然たる長沼流である。戦国時代からなにほども進歩していない。 その新旧が激突したのだ。 権助はついに、三門の会津砲を奉行所東端の路上にひきだし、仰角をもって、竜雲寺高地に射ちあげた。 砲弾はほとんど、松林にあたって炸裂し、かんじんの敵陣地がつぶれない。 もっともそれでも多少の効果があり、その破片が第二砲隊長大山弥助の耳たぶを傷つけた。ただし耳たぶだけのことである。薩摩砲兵の射撃は、いよいよ活溌であった。 御香宮に籠っていた薩摩の銃隊も、路上、軒下、小祠などに散開してじりじりと南にむかって押しはじめた。 権助老人、路上で指揮し、 「もはや斬り込みじゃ」 と、刀槍隊を叱咤して何度か突撃したが、十メートルも進まぬうちに先鋒はことごとく銃弾のために死骸になった。 それでも権助、三度まで突撃した。が、前後左右、死屍を作るのみである。 権助、さらに屈しない。 「さあ、もう一度押すぞ」 と長槍をふりあげたとき、同時に三発の銃弾が体をつらぬいた。 どかっ、と尻餅をついた。 立てない。 兵が抱きおこして退らせようとすると、 「触るな」 とはらいのけ、路上にすわったまま、指揮をとった。 夜になった。 歳三は、新選組全員を松林に集結させ、一本の松明に火を点じた。 「いいか、この火がおれだ。この火の進む方角について来い」 松林の中の畳の堡塁群は沈黙している。暗くなったために目標がみえないのだ。 「原田君」 と、歳三は耳うちした。 原田左之助は声が大きい。 歳三にいわれたとおりのことを、松林の中の敵にむかい、腹の底から怒号した。 「聴け、いまから」 と|がな《ヽヽ》っ《ヽ》てから一息入れ、 「新選組千人が斬りこむぞ」 この声は、たしかにききめがあった。 敵は新選組という語感に恐怖を感じた。この松林の敵は、長州の第二歩兵隊が主力である。 やみくもに乱射しはじめた。 「闇夜に鉄砲さ」 歳三はその発火の位置をたしかめ、どっと斬りかかった。 斬った。 歳三ひとりで四人。 原田左之助などは槍が折れるほど闘い、ついに敵は崩れ立った。このとき長州側は、小隊司令宮田半四郎以下死傷二十余名。 敵は北へ逃げた。 北こそ、歳三が襲うべき敵の本陣「御香宮」である。 「つづけ」 と歳三は、左手に松明をかかげ、右手に和泉守兼定をかざして路上を突進した。 奉行所東端まで来た。 会津藩の主力がいる。 「林さんはどうした」 「あれに」 会津兵が指さすと、林権助は甲冑のまま路上にすわっている。 なお大砲の射撃指揮をしているのだ。 「やあ、土方さんか」 権助老人は笑った。 笑っているそばで、砲弾が炸裂したが、権助は顔色も変えない。 「やられたようですな」 「鉄砲玉が」 と、左腕、腰、右膝を指し、 「入っている。あんたはまだかね」 「まあね」 といったとき、銃弾が飛んできて歳三の松明を撃ちとばした。 歳三はゆっくりと拾いながら、 「佐川さん」 と、会津藩別選隊長の佐川官兵衛によびかけた。家中でも勇猛で知られた人物である。 「どうやら敵の大小砲の発砲状態をみてみると、西方の市街地にはあまり人数がいないようだ。ひとつ、市街地へ大迂回し、御香宮の背後にまわって、南北から挟撃しようじゃないですか」 「なるほど」 佐川もはじめて気づいた。敵の弱点攻撃こそ、戦術の眼目である。長沼流にもある。 ただし歳三のは天賦の喧嘩流である。 「やろう」 と、その場で会津藩、幕軍伝習隊の諸隊長をあつめ、趣旨を徹底させた。 先鋒は、新選組である。かつて蛤御門ノ変のとき伏見市街で長州兵と戦った経験があるから歳三は進んで買って出た。 どっと西へ駈け出した。 八丁畷《はつちようなわて》を経て市街地に突入すると、少数の長州兵がいたが、すぐ蹴散らした。 (勝てる) 歳三は、両替町《りようがえまち》通(南北線)の角に立ち、 「伝習隊はこの道を北進してください」 と指示し、さらに西進。 新町通(南北線)へ出た。 「北へ駈けろ」 歳三、突進した。狭い街路を、三列、四列の縦隊になって各種幕兵がつづいた。 が、それも二十メートル。 両側の民家という民家が、いっせいに銃火を噴きあげた。幕兵はばたばたと斃れた。 長州の遊撃隊であった。 「伝習隊は、このまま駈けてください」 と云いのこすと歳三は新選組を指揮して突風のように空家を襲っては長州兵と戦い、一軒ずつたたきつぶしては進んだ。 市街戦、接戦になると、どの隊士もいきいきと働いた。 さらに北へ走って、先着の伝習隊、会津藩兵と合流し、ついに敵の本陣「御香宮」の背後にまわった。 (勝った) と歳三はふたたび思った。 敵もおどろいたらしい。 薩摩軍はさっそくその精強の徒歩部隊を路上にくりだし、まず射撃戦を展開し、やがてすさまじい白兵戦がおこった。 もう、指揮というものはできない。敵味方ひしめくように路上で戦うのだ。走ってぶちあたったやつが敵ならば斬る。芋の子を洗うような混戦である。 「新選組進め、新選組進め」 と歳三は怒号しながら、異装の人影と見ると斬り、背後をはらい、さらに進んだ。御香宮へ。 塀をのり越えるのだ。
 が、そのころ、竜雲寺高地に放列を布いていた大山弥助らの薩軍砲兵は、戦況が意外な方面に移りつつあることに気づき、いそいで砲座を移動しはじめた。 同時に薩軍の銃隊もこの方面に集中しはじめ、戦闘開始以来、最大の火網を張った。 歳三の周囲で、死傷が続出した。 幕軍歩兵、同伝習隊は動揺したが、さすがに会津藩兵は動揺しない。 死屍を乗りこえ、乗りこえして斬り込んでゆく。 (やるなあ) 歳三も感心したが、ただ会津藩兵は敵を斃すとかならず首を斬り、腰にぶらさげるのである。 これには歳三も閉口した。 甲冑の装《よそお》いといい、戦場作法といい、戦法といい、三百年前のそれではないか。 首は重い。 二つも首をぶらさげれば、もう行動はよたよたになってしまうのだ。 歳三は乱戦の最中、そういう会津藩兵をみつけると、 「あんた、首を捨てろ」 とどなるのだが、かれらにはわからない。 そこへゆくとさすがに新選組の白兵戦は軽快そのものであったが、人数はおどろくほど減ってしまっている。 そのうち、伏見戦闘における幕軍の最大の不幸が勃発した。 後方の本陣伏見奉行所の建物が、火の粉を噴きあげて燃えはじめたのである。 たちまち、あたりは真昼のような明るさになり、薩長方からは、歳三ら幕軍の行動が手にとるようにわかってきた。 銃砲火の命中が的確になった。雨のようにそそいだ、といっても誇張ではない。しかも幕軍は狭い路上に密集している。 もはや戦闘でなく、虐殺であった。 歳三はなお路上を疾駆して指揮していたが、このとき、会津藩隊長の佐川官兵衛にいった言葉が、のちのちまで伝わっている。 「佐川さん」 と、歳三はいった。 「どうやらこれからの戦さは、北辰一刀流も天然理心流もないようですなあ」 が、歳三、絶望の言葉ではなかった。 今後は洋式で戦ってやろう、という希望に満ちた言葉だった。 妙な男だ。 笑っていたらしい。 その笑顔を、伏見奉行所の火炎が照らしている。 (おれの真の人生は、この戦場からだ) 歳三は、隊士を集めた。 「みな、いるか」 弾雨のなかで、顔の群れを見た。そこに六十数名が立っている。 原田左之助、永倉新八、斎藤一、結党以来の組長たちの元気な顔があった。 が、故郷から一緒に出てきた天然理心流の兄弟子で六番隊組長井上源三郎の姿がみえない。監察の山崎烝も。 「山崎君は」 「負傷して後送されました」 「あとの諸君は?」 いわずと知れている。鬼籍に入った数、百数十名である。 「よし、この六十人でもう一度、押し返してやろう」 歳三は、どかっとすわった。 その頭上を弾がかすめた。
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